近オリ2011/9月号 太子学園前ローソンAM7時 3冊
not感想 ただのmemo
「助かるかもしれません」
かも、とはまた素敵ゲスい。サイコー!
———————-
根幹
──あんたペテン師じゃない… 策士だよ
「ワシにとってはほめ言葉よ」
「策謀はワシの最も得意とするところよ」
「人心掌握は ワシの十八番よ」 ←NEW!
ココを軸に
頭に入れて
前に、「商品化したいのにワシズ様まで殺したら金が手に入らないからそれはなさそう」って感想を読んだような気がした(うろおぼえ)
でも、一線をたやすく越えられる最高の資質を持つ科学者(人としてはダメなんでしょうね)の思考は全然ベクトル違うのでその心配は方向違いだと個人的には
寄生虫商品化することも、金を手に入れることも、ほんとはどうでもいいよね
商品化の話も勿論、社長から研究資金提供を受ける為に、向こうの利益と一致させただけだよね
研究が出来ればいい、自分の興味、その扉の先を自分の手で開いて見たいという欲の追求を続けることさえ出来れば、その後はどうだっていいんだよね
…って
この献体に不具合が生じれば、別のところに話を持って行ったっていい
「この献体は最高の素材じゃなかった、だったらまだ居る筈、まだ在る筈、この研究の結果を出すのに相応しい素材が!」って思うのが、(その人たちの)普通で
——————-
…という、私のただの理想の科学者像なだけで、教授は別に違うかもだけど、あまりに好きなタイプの科学者に近かったので、自分の科学者研究に当てはめて考えてしまった
最終的に「金の為/地位/名誉欲の為の研究だった」ってキャラクターだったら、ここまで読んでのイメージと重ならなくなるけど、
もっともっとツキ抜けて金や名誉欲のどれかに執着するゲスい(一般人から見て)キャラなら、そっちはそっちで素敵(私から見て)
そっちだとしたら、コンプレックスからというのも考えられるので。
教授の
「自分の考えが推測が研究の答えが 合ってるか知りたい、その結果どうなるのか知りたい」
…という、その欲にただただ、ひたすら純粋な 天才が 好き過ぎてつまり
結果の正否さえ知ることが出来るなら、自分の命賭けるくらい容易い(まして自分以外の生命や道徳倫理観など)
…っていう
(フィクション内での)科学者の姿勢とはそうあってほしい (動物とは違う「人間らしい姿」ってそこだとすら)
社長は目羅博士の時同様に、
———————-
「操縦など苦も無いこと…操縦だけなら」「それって免許持ってないって事じゃ…」の下りをわざわざ入れたのは、後の布石なん
→無免許荒治療でもするのかね
————–
教授が良すぎて参ったな
社長は好きになる対称だけど、教授は「自分もこうありたい」という私の理想だな。参っちゃうな。
知りたいという自身の純粋な欲求にのみ従えれば、
その結果さえ知れれば満足して終れるのも自然な
倫理観や常識なんて、後の地位ある人たちの都合で取り決めた、人の目がある中でのみ適用されるルールですしおすし、と作品内で誰かに言わせておけば
この章の終わりにこの教授がどうなるか、この先の社長(「ワシズ」という作品の最終回)がどうなるかを、原先生がどう描くのかが本当に楽しみで楽しみで楽しみで
———————————
個人的には自分が なぜ天才が好きなのかそれにかかる思考に引き込まれるのかの1つのヒントになる気がして
もしかしたらズバリその答えを教えてくれるのかもしれない という怖さと楽しみで
私はもう… 子供のころから、(フィクション内の)天才科学者の狂気と末路に魅せられて、魅せられて魅せられて魅せられて
ただ執拗にそればかり追っちゃうのはなんでかなって 多分コンプレックス
なのでこのお話はドストライクもいいとこで
好きな漫画家さんのこれ系のお話の決着どころや答えがこの後読めるって
楽しみすぎて身悶えて
わーーーって どんなにか鳩尾かきむしりそうになる